- 日時:平成23年7月9日(土) 14:00~17:00
- 場所:名城大学名駅サテライト(MSAT)
- 講師:菅野直樹氏(防衛研究所主任研究官)
花田智之氏(防衛研究所戦史部教官) - 演題:(菅野氏)「防衛省防衛研究所所蔵「住谷悌史資料」について」
:(花田氏)「19世紀ロシア帝国の辺境総督制-支配者としての軍人貴族たち-」
猛暑の中、名城大学サテライト教室で研究会が開催された(参加者18名)。
菅野氏からは、報告者自身が、その整理・分類に携わった「住谷悌史資料」について説明がおこなわれた。住谷悌史(1896~1959)は、大正3年12月、主計生として歩兵第27聯隊第11中隊に入隊してから、主計少将として昭和20年の終戦を迎えるまで、一貫して陸軍経理畑を歩んだ人物である。報告においては、234項目にわたる住谷資料のタイトル一覧が提示され、その中から数点が紹介され、またこの資料を用いた研究の可能性が示唆された。
花田氏からは、ナポレオン戦争後におけるロシア帝国の支配領域拡大に、辺境総督制という統治機構が、重要な政治的・軍事的役割を果たしたことが指摘された。さらに、その辺境総督の中でも、カフカス総督を務めたミハイル・ヴォロンツォフ(Михаил Семенович Воронцов, 1872-1856)侯爵の統治政策と軍事政策が紹介された。
ヴォロンツォフがカフカス総督を務めたのは、1845年から1854年であるが、そこに至るまでの時期は、ロシア領カフカスにおける、いわば「内憂外患」の時代であった。ヴォロンツォフは、「ロシア化政策」を強行せず、現地の行政・経済・文化の実態把握から始めた。そのうえで現地に適応した経済政策、行政改革、教育改革をおこなった。そのうえでカフカスのイスラム系の反逆者たちを山岳包囲作戦で追い込み、鎮圧したことが紹介された。