- 期日:平成22年7月10日(土) 14:00~17:00
- 場所:名城大学MSAT
- 講師:李 盛煥氏(啓明大学校)
千葉 功氏(昭和女子大学) - 演題:(李氏)「韓国から見た近代日本の戦争」
:(千葉氏)「桂太郎発受書翰について」
猛暑の中、名古屋駅前の名城大学サテライト教室で研究会が開催されました(参加者22名)。
李盛煥氏の報告は、日本の戦争、具体的には日清戦争・日露戦争・太平洋戦争が韓国でどのように見られているのかに関するものであった。
例えば、日本の韓国進出は、日本の安全保障と直接関係していると日本では理解されている。しかし韓国ではどうして、日本の安全のために、日本の植民地にならなければならないのかという疑問が根強い。そのために、日本の韓国進出を、帝国主義的膨張の結果と理解する考えにつながる等と説明がおこなわれた。
さらに戦後の韓国の国際関係の理解枠組に対して、大韓帝国期の国際環境認識が強い影響力を持っていると指摘された(「旧韓末シンドローム」)。すなわち日本の影響力の増大は、韓国の安全を脅かすと考える傾向である。戦前の日本の戦争に対する懸念が、戦後の韓国の国際観に影響を及ぼしていたことが指摘されるなど刺激的な報告であった。
千葉功氏は、桂太郎発信書翰を翻刻し、『桂太郎関係文書』(東京大学出版会)を刊行したばかりであり、さらに現在桂太郎発信書翰の収集を精力的におこなっている。この日は、書誌学的視点から桂太郎関係発受書翰を報告した。
さらに大変興味深いことに現在集中の桂太郎発信書翰の中から、内容が充実している三通紹介された。第一は、明治27年12月31日付、石黒忠悳(大本営陸軍部野戦衛生長官)宛書翰である。日清戦争第一軍司令官山県有朋が、病気ならびに暴飲のために解任された事情を述べたものである。第二に、明治29年10月4日付、高島鞆之輔(第二次松方内閣拓殖大臣)宛書翰である。台湾総督であった桂が、高島に、台湾航海費の削減に反対することを述べたもの。さらに第三に、明治18年1月と推定される、在ドイツ青木周蔵宛の書翰。甲申事変における政府の政策を批判したものである。
なお、桂太郎発信書翰については、本年度中に翻刻・刊行予定とのことである。