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第48回(平成26年度)年次大会

日時 平成二十六年六月二十八日(土)・二十九日(日)
場所 大阪学院大学および京都史跡見学

 今年の年次大会は、大阪学院大学(大阪府吹田市)において、「第一次世界大戦とその影響」を共通テーマとして6月28日に実施されました。翌、29日、京都史跡見学がおこなわれました。大会参加者は165名に及び、同日夕方に開かれた懇親会も99名の参加を得て盛会でした。翌日の史跡見学にも62名の参加がありました。

28日午前11時15分から、大阪学院大学2号館地下第2教室で総会が開かれ、先ず黒沢文貴会長より開会のあいさつがおこなわれました。続いて左の議案について審議と報告がおこなわれ、いずれも異議なく承認されました。

一 平成二十五年度事業報告及び収支決算
二 平成二十六年度事業計画及び収支予算
三 役員人事に関する件
四 軍事史学会五〇周年記念大会の開催に関する件

また、委員長人事で、平成27年度の年次大会につき、源田孝理事が大会委員長に就任することになりました。年次大会と並んで軍事史学会五〇周年記念大会も開催予定です。
昼食・休憩をはさんで、午後一時から、大阪学院大学を代表して大学院部長郡司健教授から、歓迎のあいさつをいただき、ならびに今回の年次大会の成功を祈念する旨のお言葉を賜りました。午後1時10分からは山室信一氏(京都大学教授、人文科学研究所所長)による基調講演が一時間にわたっておこなわれました。演題は「戦争の形態の複合化とその衝撃―開戦百年と現代―」でした。世界大戦という概念は翻訳語ではなく、日本人が開戦早々に使用したというエピソードから始まり、大戦はメディア(電信)の発達により、戦況が同時的に伝えられ、日本人の世界と戦争に対する考え方を変えました。さらに大戦は社会にも影響を与えました。女性も動員した大量生産システムが作られ、それを戦後も維持するために大量消費が不可避となってきました。その大量消費を維持するために使われたPRは、戦時中に動員や戦意高揚のために使われたプロパガンダの転用です。このように大戦が、現代世界の幕開けとして大きな影響力を持っていることを縦横無尽に論じられ、聴衆を魅了しました。
午後2時40分からは個人研究発表がおこなわれ、共通論題二セッション、自由論題三セッションを二部に区分して、合計13名が日頃の研究成果を報告しました。各セッションの報告者と司会者は次の通りです。

 

第一部
共通論題①「第一次世界大戦とその影響」
 司会:横山久幸(防衛大学校)
「第一次世界大戦は日本軍の占領地軍政をどう変えたか」 野村佳正
(防衛大学校)
「第一次世界大戦が我が国の戦争経済思想に与えた影響について―中山伊知郎の思想への影響を中心に―」 小野圭司
(防衛研究所)
「機械化戦争の起源としての第一次世界大戦」 齋藤大介
(防衛大学校)

自由論題③「近代中国を巡る諸問題」  司会:戸部良一(帝京大学)
「吉田・姜豪工作の再検討―日中和平工作か否か―」
広中一成
(三重大学)
「台湾における観光事業の発展と軍隊―一九三〇年代から一九四五年まで―」 呉米淑
(愛知学院大学)
「戦略拠点の獲得をめぐる一九世紀後半のイギリスの東アジア政策―巨文島の占領と威海衛の租借を比較して―」 尾﨑庸介
(大阪学院大学)

自由論題④ 司会:稲葉千晴(名城大学)
「一五世紀前半ヴェネツィア共和国のイタリア本土における軍管理―ベルペトロ・マネルミを中心として―」 面地敦
(桃山学院大学)
「ソ連から見たノモンハン事件―戦争指導史の観点から―」 花田智之
(防衛研究所)
「ロシア通から見た戦後防衛の実相―佐藤守男氏のオーラル・ヒストリーから―」 平山実
(防衛大学校)

第二部
共通論題②「第一次世界大戦とその影響」  
司会:相澤淳(防衛研究所)
「原体験としてのケルンテン防衛闘争―共和国オーストリアのアイデンティティとハイダーの風土―」 小島郁夫
(愛知県庁)
「ジュトランド論争とビーティー」 山口悟
(大阪学院大学)

自由論題⑤   司会:広野好彦(大阪学院大学)
「近現代の日中関係を精確に叙述している『リットン』報告書の第一、第九章の周辺―義務教育社会科教科書の満州事変の叙述を焦点にして―」 糸山東一
(香川大学名誉教授)
「第二次大戦参戦前期における日本の意思決定プロセスの経営科学的分析」 湊晋平
(会員)

 29日は、京都史跡見学がおこなわれました。詳細は、次の「年次大会の史跡研修(京都)について」を御覧下さい。
なお今回の年次大会実施にあたっては、一年余り前にわたる計画段階から、様々な方々のお世話になりました。深くお礼を申し上げます。

(文責:広野好彦)


年次大会の史跡研修(京都)について

山本哲也

 梅雨の真っただ中での京都市中の史跡研修。天候も心配されたが、幸いにも雨に降られることもなく、かといって炎天下にもならず、多少の蒸し暑さを割り引いても、「史跡探訪日和」とも言える一日であった。今回は、幕末維新期を中心に、京都の史跡を巡る研修である。幕末維新期の軍事史を研究している者にとっては、心待ちにしていた行事である。
京都駅八条口を出発して、まずは最初の目的地である城南宮へ向かう。今回の研修では京都の史跡に大変詳しい中村武生会員が、現地のみならずバスの中で終始解説をして下さった。中村会員は、幕末維新期だけではなく、京都の史跡の保護活動をされている関係で、場所によっては数メートル単位で史跡を把握されており、そのユーモアを交えた話術と詳しい説明で、とかく退屈になりがちな車中を十分に楽しませて頂いた。
《城南宮~鳥羽の戦跡》
城南宮は、平安遷都の際に創建され、白河・鳥羽上皇による院政の折には城南離宮の鎮守としても崇められた。鳥羽重宏宮司による講演では、城南宮の創建から鳥羽・伏見の戦いまでを、パワーポイントを使用しわかりやすく解説して下さった。また、今回特別に同宮が所蔵している薩摩藩関連の非公開資料を閲覧することもできた。これは、鳥羽・伏見の戦いの際に、城南宮が指揮所になった関係で、同藩の個人戎装や隊旗、戦況図などが奉納されたそうである。特に、ハップリ笠や隊旗などは、目にする機会が少ないものなので、大変興味深いものであった。その後、城南宮の庭園をのんびりと散策したが、付近を走る京都南ICや国道一号の喧騒が嘘のような静けさであった。
城南宮から国道を渡り小枝橋に向かう路は、鳥羽・伏見の戦いの際に薩摩藩が四斤山砲を据えた場所である。今回は小枝橋付近から、薩摩藩が伏兵と敵状観測に利用した秋の山あたりを散策した。鳥羽街道を縦隊で京都に入ろうとした幕府軍に対し、薩摩藩は小枝橋から城南宮を結ぶ防禦線で射撃し、結果的に幕軍を敗退に追い込んだとされている。会員からは「撒兵隊がいるのだから、散開して攻撃を加え、戦列に穴をあけ、その後幕府歩兵が攻撃を加えれば、兵力の少ない薩摩藩は崩れたのではないか」との疑問があがった。それについて、幕軍は文官が行軍の先頭におり、戦列も撒兵隊が先頭にいたわけではなく、縦列の行軍隊形のまま薩摩藩に遭遇してしまった。確固たる戦術・戦意のない状態で薩摩藩に先制攻撃され、旧式装備の見回り組や佐幕諸藩では、緒戦の混乱を収拾して態勢を建て直すことは難しく、さらに薩軍からの十字砲火の中、遮蔽物のない乾田に戦列歩兵を押し出して反撃することも、現実的にはかなり困難だったと思われる、とのことであった。
《平安神宮 所蔵非公開資料の閲覧》
平安神宮は平安遷都一一〇〇年を記念して明治二十八(一八九五)年創建された。平安神宮の祭礼である「時代祭」は、京の三大祭の一つとして全国的にも有名である。軍楽を奏でながらその先頭を歩く「山国隊と時代祭」について、前原康貴会員より詳しい解説がなされた。戊辰戦争に出兵した山国隊は、西洋式のドラムと篠笛を組み合わせ、「行進曲」と呼ばれる独特な旋律の楽曲を奏でながら、京都の街を練り歩き人々の好評をえた。現在は、山国隊に代わり「維新勤王隊」が先達役を引き継いでいる。その維新勤王隊が、今回特別に時代祭の装束で、行進曲を演奏しながら登場してくれた。時代祭以外で、こんな身近に維新勤王隊演奏を観る機会は、おそらくほとんどないと思う。
引き続き、平安神宮が所蔵している幕末維新期の小銃について前原会員が解説し、参加者はそれら小銃を実際に手にとってみることが出来た。同宮が所蔵している小銃は、スナイドル銃四三挺、アルビニー銃二一挺である。山国隊が実戦で使用していたのは短エンフィールド銃だったそうで、これらの小銃は、明治以降に時代祭の小道具として調達されたものといわれている。会員の多くが、幕末の小銃を実際に手にとって接する機会は、少ないと思われる。特に程度の良いスナイドル銃、アルビニー銃といった後裝式施条銃を、一度に数多く接するチャンスはなかなかないので、大変貴重な体験をさせていただいた。欲をいうと、小銃に触れる時間が、もう少しあるとありがたかった。
《京都御苑、霊明神社》
昼食は京料理の「六盛」にて高級弁当を美味しくいただき、次の目的地である京都御苑に向かう。京都御苑では、前出の中村会員が絶妙なトークで「蛤御門の変」の史跡を案内して下さった。中村会員曰く、京都市中随所で戦闘は行われ、堀川以東の多くを焼失しているので、「蛤御門の変」「禁門の変」という呼称に異議があり、「元治甲子戦争」という名称を主張されていた。御苑内はかなり広く、今日は蛤御門、会津藩の屋敷跡、来島又兵衛戦死の場所、御所の清所門などを見学した。現在の蛤御門は烏丸通に面しているが、幕末当時は少し中に入った位置にあり、烏丸通には面していなかったそうである。
続いて、鴨川を渡り東山方面へ向かい、今回最後の見学地である霊明神社に向かう。霊明神社は長州藩毛利家との関係で、安政の大獄以降に国事で殉死した御霊を祀る招魂祭を、日本で最初に行った神社である。坂本龍馬、中岡慎太郎も同所に埋葬された。しかし明治十(一八七七)年、官立の霊山招魂社が建立されることとなり、土地一、八八〇坪が公収されて現在に至っている。村上繁樹宮司が、そのあたりの経緯も含めた興味深い史話を講演された。また同舎には、幕末維新期の貴重な古文書を大量に所蔵されており、機会があればゆっくり拝見したい。

以上、一日の史跡見学ではあったが、各地の維新期史料、戦跡見学、幕末の実銃、生の軍楽演奏など、誠に内容の濃いものであった。幕末維新期の軍事史研究している者としては、「まるごと幕末」で十分に堪能した、有意義な研修であった。淺川道夫理事を始めとする史跡研修を企画・実行された大会役員の皆様に心より感謝申し上げる。

(会員)

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