日時 平成十三年六月二、三日
場所 鶴岡市中央公民館及び鶴岡市・酒田市周辺
本年度は満州事変七十周年の節目の時であり、満州事変を指導したと言われる石原莞爾ゆかりの地である庄内(酒田市、鶴岡市)で、「満州事変」をテーマとして、百四十名を越える会員と大勢の鶴岡市民の方々の参加を得て開催された。
第一日目は、鶴岡市中央公民館を会場として、午前十一時四十分から総会が開かれ、伊藤隆会長の挨拶の後、議事に入り、左記の議案について審議が行われ、いずれも異議なく承認された。
一、平成十二年度事業報告・収支決算報告
二、会計監査報告
三、平成十三年度事業計画・収支予算案
また、本年は「阿南・高橋研究奨励賞」授与の年であり、高橋久志編集委員長から選定経過の明があり、第三十五巻第二号掲載の喜多義人会員の「英軍による降伏日本軍人の取扱い―南方軍終戦処理史の一断面―」と第三十五巻第四号掲載の中島信吾会員の「アメリカの東アジア戦略と日本(一九五五―一九六〇)―日本をめぐるディレンマと調和点の模索―」両者が甲乙付け難く、特別に今年は二名の同時受賞と発表され、賞状と副賞が授与された。
午後は、地元研究者の笹原信一郎鶴岡商工会議所会頭が「石原莞爾と昭和動乱(主として満州事変)―そして庄内というところ―」と題して特別講演。庄内出身の著名人を紹介しながら庄内の風土の特色を述べ、石原莞爾と満州事変について多くの写真等を紹介しながら講演を頂いた。特に笹原氏の体験・見聞した石原莞爾周辺のエピソードは地元研究者ならではの興味深いものがあった。
その後十五時二十分から四会場に分れ、左記のような個人研究発表が行われた。
・ 共通論題部会Ⅰ「満州事変①」
野村乙二朗 「石原莞爾の満州事変 ―アジア解放の革命的対欧米持久戦争の起源―」
荒川 憲一 「石原構想の限界と可能性」
三輪 公忠 「満州事変前後の思潮と『八絋一宇』」
・ 共通論題部会Ⅱ「満州事変②」
秦 郁彦 「満州領有の思想的源流」
等松 春夫 「1932年のPKF? ―リットン報告書にみられる特別国際警察隊構想―」
影山好一郎 「昭和八年前後の日本海軍
―満州・上海事変以後の強硬化路線の背景を中心に―」
・ 地方史論題部会
佐藤 和夫 「加藤清正の蔚山籠城と軍事力」
佐藤 昇一 「庄内に配流された加藤忠広」
西岡 香織 「按察使・初代山形県知事の坊城俊章少将」
・ 自由論題部会
山本 哲也 「日本陸軍の歩兵による対戦車戦闘法について」
小泉 直彦 「『高松宮日記』で始めて分かったこと、だけでは分からないこと」
本橋 弘毅 「コンチネンタルマリーンズと米独立戦争」
午後七時から東京第一ホテル鶴岡「鳳凰の間」で懇親会が開かれ、鶴岡市長富塚陽一氏からご祝辞を頂いた。懇親会には百二十名余が参加し盛会であった。
第二日目は八時から史跡見学。九〇名の方が参加し、荘内神社を皮切りに大宝館、致道博物館、鶴岡市立図書館、石原墓所、本間家旧本邸、光丘文庫、南洲神社、加藤家と研修した。特に我々学会の行動に協賛いただき、鶴岡市立図書館は「鶴岡の生んだ軍人思想家 石原莞爾資料展」を、光丘文庫では「光丘文庫所蔵資料に見る石原莞爾の時代」の特別展を開催して我々の研修に便宜を図っていただいた。また、酒田市史編纂委員の佐藤昇一氏の案内で加藤清正公の遺子・加藤忠広家の研修もでき、庄内の別の一面も垣間見ることができた。
ただ今回の史跡見学で、計画側の都合により九〇名に限定したので、希望しながらも参加できなかった方に誌面をお借りしてお詫び申し上げます。
最後になりましたが、今年次大会は鶴岡市の庄内コンベンションセンターの全面的なご支援・ご協力を得たことが、会場設営、懇親会、史跡見学等、盛会裡に終始できた要因であったことを記して感謝の意を表します。
なお、本年の年次大会は、関西支部の計画に基いて、下記の計画で関西学院大学で実施の予定です。